へのへの先生仮免中

やっぱ教授になるまで仮免中で行きます(なれるのか)、神経系の研究がメインです

台風は学生を遠ざける・ハゲタカなジャーナルとは・

明日は台風が来るということで、学生は学校に来ないように、のような指令が飛ぶ。
警報も出ないわけで、これはこれで過敏なような気はする。
たぶんO県に直撃はしないんじゃないですかね?
まぁ明日は静かに仕事をすることになりそう。

院試から弟子が生還したので(多分)、わーいと色々仕事を積み重ねてるうちに、あ、これ一人でこなせんわと気づき、仕事を一二個脇にどけたりした。
どうも、思いついた仕事をすぐやろうとする悪い癖が抜けぬ。
なんだかんだ言っても、仕事を共有する仲間が増えるのには喜びがある。
最近ハッピーな気分でいたのだけれど、ここで割と叩きのめされる氷菓シート、ええいI screamやで、じゃなくて評価シートを見たりしてげんなりした。
なかなか人生調子にのせてくれないもんやね。
経験を積んでる・・・なんて甘いことを言っててはいかんなぁ。

ハゲタカジャーナルなんて記事がYahooニュースに載っていた。
まぁ今年論文を出したら、なんともいろいろなジャーナルからメールが来るようにはなった。
おお、あなたの素晴らしい論文を読んだ、是非我々のジャーナルに論文を!という定型文ではある。
Invitationかと思ったら、怖い話だってあるわけで
神経やってるのに、デンタル、コンピューターサイエンス、臨床応用系、実にバラエティ豊か、まぁ読んでないのは明白なのである。
といっても論文を出すこと自体はそこまで責められることではない、査読が無いジャーナルは出す意味がない、くらいに神聖化した論調の記事も多いんだけど、そんなにレビュアーの数も質も保てるもんじゃない。
まずデータセットを出してしまって、そこから論文の評価をされる形でもよいはずである。
F1000ジャーナルなんかはそんな形態だったかなぁ。
実際に出た正しい実験結果を、少しでも早く世に出すってだけでも意味はあるはずなのだ
まぁ問題は査読があるものと、ほとんど無いものってのがごっちゃ煮になっていて、数で実績が評価されがちって所なのかもしれない。
ジャーナルの価値としてはインパクト ファクターがよく用いられるものの、身内の引用を繰り返すことで、IFもある程度操作可能とも聞く。
中身は読まねばわからぬわけだが、ここまで雑誌が増えてしまうと、砂漠のダイヤモンドを探すようなものか。

論文の査読をするのは面倒な作業だけど、Elsevier系だとScopusという検索サイとが使えるようになって、自分の大学では落とせない雑誌が落とせたりする。
ちょっと面倒な論文の査読をやったけど、そのかわり、たくさん有象無象の論文を落とすのであった。
まぁちょっと論文コレクター(読むとは言ってない)なところがあっていかん。