東京に来ている。
仕事込み(と言えるか微妙だが)、まぁ適当に遊んでもいる。
大体は上野で博物館や美術館を巡ることになる。
岡山まで特別展は来てくれないからなぁ、備前焼とか日本刀とか、流石に見飽きた。
こういうのはずっと一人で見るものと思っていたのだが、シカゴで学生を連れて回ったらもうちょい面白かったので、寂しい人間はいかんのだなぁと思いながら回る。
めぼしいものは全て行って(金がかかった)
ハプスブルク展(国立西洋博物館)、ミイラ展(国立科学博物館)、コートールド展(東京都美術館)、ゴッホ展(上野の森美術館)と回ってみたけど、欲張るんじゃなかったなぁと思う、最後に見たゴッホ展も良かったけど、なんか魂が疲弊してしまった。
あんまりハプスブルク展はピンとこなかったが、ミイラ展はめちゃくちゃ面白かった。
けど、これはヒトを選ぶだろうなとは思った
ヒトの業、永遠
ミイラになって最後は見世物かよって思わなくもなかったけど、よく考えてみれば、死後何千年も渡って、彼らのことに興味を持ち研究する人がいるってのは実は永遠に近いものなのかもしれない
我々がミイラを覗いているとき、ミイラも我々を覗いているのだ・・・
コートールド展は本当に素晴らしかった
印象派が好きかどうかだけど、彼らの一番の傑作群が集まってるんじゃないかなぁ
ルノワールの風景画もかなり好きだけど、肖像画の女性はみんな生き生きとした目をしていて、人生も捨てたもんじゃないなって思える
ちょっとした理想的な幸福がどこかにはあるんだなぁと思わせる、ヒトを前向きにしてくれる絵が多いような気がする。
ポスターの絵となっているマネの作品は、何処がいいとは言えないけどなんかムービングだったなぁ、絵の前から離れるのが惜しかった。
作品を集めたコートールドとは気が合うんじゃないかな、彼が集めた絵はほとんど好きだ。
夜中は恒例の(高齢の?)OB会で飲み会をやっていた。
上から目線になってヒトの仕事で批評らしきなにか言うのは見苦しいからやめたいんだが、酒を飲むとどうもペラペラっと喋りがちでいかん。
どんだけわしは偉いんじゃーい、と言うところではある。
嫉妬とか劣等感とか色々ごちゃまぜであるのは認めるけど、先輩や後輩に対する思いやりや誇りは根底にあるんだと思っている。
別に聖人になりたいわけではないが、ヒトに対する良い思いを掘り出してちゃんと見せることは意味があるはずで、そう振る舞えるよう努力したいと思っている
人にどう思われるかではない、ひとにどうありたいのか、そこを大切にせねば
ヒトを笑わせて、褒める方に自分の天分はあると思いたいなぁ。
一人旅に3日東京は辛い気がする。
日曜日はどうしようかなぁ、とおもったのだけど、横浜まで行ってルノアールと12人の作家展(オランジェリー博物館所蔵)を見に行った。
日本人は印象派が好きですな。
この企画展もなかなか良かった。
ルノワールを謳ってる割には、作品数は少なかったかなぁ、まぁ作家の全部の作品が好きでなくても良いのだろう、コートールド展のほうが僕は好きかな。
そういえばゴッホ展もそんな感じで、結構いろんな時期のゴッホ作品が展示されていたが、本人に迷い?があっていろいろなヒトのマネをしていた時期は、全然おもしろくない
本人が自分の絵柄を獲得した頃から抜群にゴッホらしくなって面白くなる。
残念ながらそんなゴッホの絵は数点しかない(ように思った)
好きな人には成長過程がわかって面白いのかもしれないけど、僕はそのヒトの最高に苦労して、苦労して、たどり着いた最高の境地が見られれば、それでいいかな。
水面の下のあがきには、興味が持てない、頑張っているからそれで良いんですとはならないだろう、この世界は。
ルノワール展には、ピカソもあって、ピカソらしい太い女性の姿に生命力を感じるのであった、かなり好き。この展覧会ではないが、走る女という絵を見たことがあって、すごく好き。
ちょっと思いつきで、気に入った絵画のマグネットを買い集めることにした。
自分の部屋で自分だけの美術館が作れたら面白そう。
毎回なぜ浅草に泊まるのかと聞かれるのだが、答えはうなぎが食べたいから。
まぁボーナスも出たからなぁ、一番高いの頼んでみた。
半年に一回くらい東京のうなぎを食う贅沢があってもいいだろう。
うなぎはヒトを誘いづらい所がある、一緒に飯を食って話しして記録してくれるAIとかできたら売れるんじゃないかなぁ、寂しい
遊ぶだけ遊んだので、仕事をしなければならない。
研究室の子から、論文の添削依頼が来たのでホテルで直しに入る。
うーん、日本語から直したほうが早かったかもしれん・・・