へのへの先生仮免中

やっぱ教授になるまで仮免中で行きます(なれるのか)、神経系の研究がメインです

落ち込んだときには深呼吸・博士課程で学べること?・褒め言葉を探す・ゲストエディター?・こいつとはやってられない

まぁ、ちょっと気落ちする色々があって、うん、気落ちしてた。

ああ、まだこんなネタで落ちるのか-って思ったけど、人間ってそんなものね。

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キラキラっとしてたものが、遠ざかるのはどうしたって悲しい。

狭量さに幻滅する、自分の立ち位置に迷う、やってることにまだ意味はあるのか

ざざざっと歩きながら考えることになる

くるくるっと考える癖がなかったら、もうちょっと楽なんだが。

まぁ、苦しいのは多分ちゃんと生きてるからなんだろう

届かないなぁ、と思ってそれが好きでないと言い始めてみたけど、それはそれで、なんか人生が塩っぱくなっちゃうから、止めることにした。

何も思わなくなることもないのかなぁ。

胸が詰まると、最近咳が1つ2つでる。

ちょっと息がしにくいような気分。

とりあえず深呼吸したら、少しマシ

ちょうど上の歌みたいな感じか。

 

先週イベントに参加して、学生にドクターコースに進む意義とは!とか高説をのたまうことになった。

俺かよ。

さぁどうなんだろう、正直私の意見として、意義は人に言われて決まるものではない、それぞれのヒトのそれぞれの博士の価値はあるんだ、である

博士というと、研究者にならなきゃ、というイメージもあるが、私の周りでは、必ずしもそういうヒトばかりでもない。

では博士課程に進む、普遍的な価値というのは僕の経験から挙げられるのだろうか、ちょっと考えてみた。

自分が振り返って考えると、良かれ悪しかれ、博士課程時期に、一番自分が作られたという気持ちがある。

人生の波とやらは、博士を持とうが持たなかろうが、ぐちゃぐちゃっと翻弄していくんだが、それでも踏みとどまって、好きな道で生きてるのは、博士時代の研鑽とまぁ称号があるからではある。

スポーツ選手が体幹を鍛えるように、博士課程では考え方の体幹を培っていって、人生という激流には翻弄されても、なんとか自分が生きたいように生きるのに役立っていくんじゃないか

そんな話をしてみた、ちょっとくらいしみたら良いけど。

僕の中で、僕の博士研究はいつだってキラキラっとした物語である。

苦しさは乗り越えてみたらスパイスみたいに物語を彩るものでしかない。

べつに全学生が博士課程に行かねばならないとは思わないが、人生で一度くらい星を追いかけても良いんだ

結構おすすめな進路なんだけどな。

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気分は落ち込んだんで、ちょっと良かった探しは必要となる。

授業評価アンケートの集計結果が来たので、チラチラ良いこと書いてないか探す。

授業受けて楽しかったとか書いてあると、ちょっと元気出る。

あんまりアンケートの結果良くても良いことは殆どないんから、まぁ自己満足かな。

学校から褒められたりせんもんな。

結局研究は世界に評価されるけど、教育の評価はローカル、かつなんか評価基準は上っ面にはみえる

学生からの支持があっても良い授業とも限らんのも確かだが、じゃぁ何で評価できるんだろう。

学生からの批判もあったが、いい気になりすぎないスパイスみたいなものではある。

結構癖が強い講義になってるから、好き嫌いはあるかもなぁ。

教員をやってた自慢としては、アンケートがなかったときにわざわざファンレターをもらったりしたことではある、そんな教員あまりいないて。

 

とある雑誌から、特集号のゲストエディターやらないかと言うメールが来た。

死にそうだなぁとは思うんだけど、一本ただで出せるらしいし。

レビューを何本か書こうかと思ってたので、ちょっと乗ってみるか迷っている。

経験談とか見てると、なかなか忙殺されて死ぬなとは思うんだが。

 

初めてとあるヒトと共同作業することになったが、世の中にはなかなか、強烈なヒトが居るなぁと思う。

詳細が語れんが、こんな介護やってられるか、と電話の後にボールペン地面に叩きつけたりした。

まぁ拾ったけど。ボールペンに罪があろうか。

母のため、怒らず生きる訓練をしようと努力しているのだが、まぁ人間仏にはなれぬわ。