2年前1番弟子が卒業したときもちょっと気落ちしたけど、2番弟子のドクターの学生が卒業してしまって以前より気落ちしてしまった。
学生は去るものではあるのだけど、4、5年付き合っているともう家族みたいなもん。
他にも科研費が取れなかったとか、色々がっくり来ることも多く、薬学会出席はしたのだけど、劣等感(金無しヒト無し時間無し)に苛まされ、友達と飲もうって気にもなれなかった。
後輩に声かけたけど、全く予定合わず、弱り目にたたり目みたいな気分で学会参加。
まぁわれより偉く見える日よ、啄木だっけみたいな感じで、こういうときは学会の面白い話題が俺は何やってるんだろうというところで刺さったりする。
これから盛り上がることあるのかなぁ、と暗い気持ちで新学期を始めてたら、一個グラントが当たった。
はー狐に包まれたような。
優しさには包まれるが、狐に包まれていはいけない
狐につままれたような気分。
基盤Bが自分的には最高の出来で、当たったグラントも一生懸命ではあったが、全く受かる手応えはなかったりで、どうも自分の中で整理ができない。
まぁ逆転ホームランで、新しくドクターになる学生に給付金と研究奨励金がつくことにもなり、2月から過呼吸気味だったが息がつけるようにはなってきた。
卒業生が全て2024年に論文をだし、今年は4月にして4報、未だかってない出だしになっている(自分が出したように書くのは間違ってるけど)
4月はのんびりとか考えてたら、二本学生から論文が飛んできて、英語を読む日々。
査読するか、論文直してるかだなぁ、最近。
英語話すのは苦手なのに、よくやるわ。
ここ何年か、ずっと論文直してるからノウハウ本くらい書けそうだけど、論文的な文書って未だよくわからんな‐と思う。
このくらいはかけるか。
章の題名に
~の部分を欠損したタンパク質は活性を持たない
と学生は書きがちだけど、
~の部分がタンパク質の活性に必要である
という直しをちょこちょこ。
もちろん論文は客観的に書く必要がある。
だけど何をこの論文の中で訴えたいのか、ある意味主観的な意思を少し乗せて、読みての理解の方向性を誘導できれば、わかりやすい論文になるはずである。
論文を書くうえで、ここを訴えたい、わからせたいというパッションは絶対必要。
これが決まってないと、すごくとりとめのない文章を学生は書きがち。
新学期も控えているし、中枢は毎年教えててマンネリになりそう。
少し勉強しなおそうと思ってこんな新刊を買った。
薬理作用はすっ飛ばし気味な説明が多いんだけど、各薬物がどのように選択されるかわかりやすく掲載されていて、授業の副読書としてはかなり良いと思う。
臨床経験は(何なら薬剤師ホヤホヤだし)浅いのが最大の弱点で、そういう私にはなかなかにフィットする。
でもあんまり詰め込みすぎると、何が屋台骨なのかわからなくなるのが学生というものだろう。
シンプルさを失わないようにしなくては。
応用薬理、みたいな科目でもあれば楽しそうだけど。