本当にデスクワーク頑張ってる。
まぁ1日1時間国家試験勉強に当てているけど、論文の添削したり、申請書類書いたり、授業スライド作ったり
ヒトがいないと息抜きできないから、やっぱり集中はできる。
とは言っても、いつもより早く帰ってきてはいるので、空き時間が多くはなっている。
先日弟子と話しをしていたら、赤毛のアンがでてきて、モンゴメリーが読みたくなってつらつら読んでいる。
赤毛のアン好きとは、なかなか我が弟子はできるやつよ。
赤毛のアンは暗唱できそうなくらい読んでるので、あえて違うやつを読むことに。
篠崎書林のNew Montgomery booksシリーズを持っているの人はあまりおるまい。
なかなか誰にも理解されないのだけど、銀の森のパットがすきだった。
とにかく自分の家(銀の森)が好きで、ずっとそこでいきていたいわ、という頑固者パットのお話、基本アンのようにめだった成長物語ではない。
最近新訳が角川から出てるんだけど、どうも現代訳しようと気負いすぎてる感があって、読んでると辛い、篠崎書林のバージョンは童話的な優しさがあって良い。
今の時代、あまりおばあちゃんキャラはわかりにくいかもしれないが、乳母(でもないんだけど)のジュディばあやが、モンゴメリ中ではきっての魅力ある人物だと思う。
昔も思ったけど、今はもうちょい痛切に思うのは
忠実なジングル(ヒラリー)は主人公にすら、ほとんど報われることがなく可哀想
もう諦めればいいのに、と読者が思うくらいだけど(後編まで読むと思う感想だけど)、心の寂しい隙間にうまく突き刺さってしまうと、もうどうしたって抜き難いのかなぁ
どんなに成功しても、幸せが、昔幸せだった場所にしかないんだという、ちょっと偏執的?懐古的な悲しさが垣間見える、本人も皮肉るしかない馬鹿な頑固さ。
パットお嬢さんまで行くと、最後に報われるけど、じつは登場シーンは殆どない。
村岡花子はパットお嬢さんしか入手できず、そこから訳したそうだけれど、知らない我々にはジングルって誰やねんってところで感情移入はしにくい。
だけど銀の森のパットで、ジングル可哀想だなぁ、報われてほしいなぁ、と思っていると、後編のカタルシスは高まるのである。
まぁパットは思い通りにならない保守的な頑迷さ(アンは変化をもう少し受け入れられる様な気がする)が、なんだかんだ愛らしいと思う
家ばかりじゃなくて自分を見ろよという展開はよく分かる、その偏屈さは愛せるものだ。
なんかあったっけ。
K務の先生には怒られそうだけど、授業補助動画というのを作り始めた。
なんで怒られそうかというと、非正規な勧められた方法以外で作ってるから。
うまく説明すると褒められる匂いもあるが、失敗すると謎の十字砲火を食らう覚悟をせねばならない愛すべき偏屈さが・・・いや、まぁやめよう、僕も相当偏屈なんだし。
なんだかんだ彼は好きだし、軽口、のつもりが陰口になってたらしょうもない。
どうやって作っているかというと、Web会議ツールであるZoomをつかって、パワポイスライドの解説を録画するだけ。
学校の撮像システムは誰もいない大講義室(100人収容可能)で、喋らなければならないのが痛切に辛い、僕だって会話はなかなか一人じゃできないんですよ。ええ。
これだと、狭い空間でPC見ながらブツブツ喋ればいいだけなんで、ドキドキが少ない。
サイエンスネタ?
うーん、読むの挫折したけどヒトの右脳・左脳には右利き、左利きがあるようにある程度の偏差があるのが知られている。
結構熱い分野でよく研究もされているようだ→Wiki
どうもパーキンソン病の初期症状は片則性があるとのことで、仮説としては、この片則性がなくなりすぎると(逆かも)、脆弱性が生まれるんじゃないかとのこと。
Science Daily
https://www.sciencedaily.com/releases/2020/04/200414173725.htm
Genome Biologyの記事
https://genomebiology.biomedcentral.com/articles/10.1186/s13059-020-01960-1
それらの差というのが、遺伝子環境変化、つまりEpigeneticsにあるのではないかという仮説のもと両側のDNAメチレーションの違いというのが解析され、結構パーキンソン病関連遺伝子にオチそうだという、なかなか都合の良い答え。
まぁ面白そうなんだけど、片則で神経にストレスが掛かっているからエピジェネも変わってるんじゃないかという、鶏か卵か論は残りそうにみえる