日常、書くことがなく、連載・・・もうアイデア無いぞ。
なんかあったかなぁ、めっちゃマイナーで「続あしながおじさん」で行ってみるか。
どんな話だったか正直あんまり思い出せん、最後に読んだの20年くらい前だぞ、多分。
作者のジーン・ウエブスターはたしかマークトウェインの縁者だった気がする。
あしながおじさんの愉快な物語形式は、トムソーヤの冒険の愉快さに通じないこともない、まぁいわれてみれば、ってレベルだけど。
書簡系物語形式の傑作だと思うけど、やり取りは一方通行、でもこんな愉快な手紙はいただきたいものである、ウエブスターが書いた挿絵はヘタウマで必見。
当時の大学生っていろいろな勉強してたんだなぁって感心する部分もある。
あしながおじさんの方は延々と、おじさんというよくわからない対象に手探りしながら手紙を送っているなど、ミステリーのある面白さというものがある。
たしか、前作の主人公であったサリー・マクブライドが、結婚までの約束で、ジュディのいた孤児院の院長をすることになり、腰掛けのつもりが、孤児院の改善に人生の意義を見出していく、というところ。
続あしながおじさんになると、そういうミステリ的なものは無く、そこは前作までの魅力が出せていない部分ではある。
続あしながおじさんが持っているものもあって、前作ではなんとなく、ジュディがペンドルトンさん(名前忘れた)を好ましく思う過程はわかるけど、物語の性質上、実体はそれほど描写されないので、ふわっとしたところがある。
サリーと恋人のエピソードは、うろ覚えの記憶では、衝突しながらだんだん近づいていく様があり、もう少し実感のある物語になっていたように思う。
ちょっと優生学が入っていて、現代で受け入れられにくい部分はあるなぁと思った部分があった気がする、なかったかもしれん、忘れた
まぁ当時はそういう感覚だからしょうがないと思うが。
あしながおじさんが好きな人は、続あしながおじさんも、文句なく面白く読めるが、続あしながおじさんだけ読むと、魅力にかけるかもしれない。
前作はJudyが孤児であり、普通の生活をしらず、憧れている、というわかりやすく主人公への同情・共感が湧きやすい所がある。
一方、サリーはもともとが恵まれており、あえて火中の栗を拾う(まぁそれも一つの幸せの姿という描写だが)というところには一般性はないのかも。
描写としては、続あしながおじさんのほうが読み応えがあったという記憶ではある、お気楽であったサリーが、変わっていくのを成長と捉えられれば、間違いなく面白い物語。
ジーンウエブスターは他にも小説を書いていて、Amazonで拾っているので、いつか翻訳をしてみたいという夢を持っている。
なかなか論文に取りかかれん・・・
学生の論文の添削や学振、授業教材の作成をやっていたら時間が結構すぎてしまった。
承認関係の書類が戻ってきたけど、例年同じ書類を出しているのであるが、毎年何らかの変更を要求される。
とは言っても、今回は、まぁこれは抜かなければいけない瑕瑾をそのままにしていた僕が悪いな、という気持ちになり、大幅に改変をした。
実は実習もなんでこの目的でこの実験をやるの?という強引さがあったから、かえって良かったかもしれない。
禍福は糾える縄の如し、捉えようで人生はかわるのだ。
デスクワークばかりだと憂鬱。実験したいなぁ。
なにか面白いベクターでも設計しようかとAddgeneやSystem bioscienceのHPをみて新製品を見物したりしていた。
この辺のは頑張れば、自分で作れるのでアイデアを得るには良い。
SBIが簡単な遠心でExosomeを分離できるキットとか出していて、ホホウ!とよんでいた。
これはサイズ分離クロマトグラフィーを応用した手法で、大きさによって分けているらしい。
富士フィルム和光は、EV表面に存在するPhosphatydylserineの結合タンパク質をもちいてIsolationするKitを売っていたが、同じものが取れるんだろうか。