何とか上の方の学生からちらほら帰ってきている。
話し相手がいるのといないのとでは全然違う。
日常のかけらですな。
研究室の後輩が書いた論文を弟子たちが読んだので、俺の若い時のセクレターゼ論文はこんなもんで許してくれなかったとかブツブツとか言ってた。
あまりにいろんなところで止めてぶつぶつ言ってたので、時間がかかるかかる。
はっと俺は小姑かい!とおもった、こういう些末にとらわれ過ぎて論文が出せなくなるのが私の悪い所だろう。
まぁみんなの興味がバリバリとかいう時代とレビュアーの熱気も変わったのかなぁとは思った
なんとなく生化学もっとやって隙が無いデータをそろえるというだけのコストを払いにくくなっているのかもしれないなぁ。
2週間くらいほっておくと、Amyloid betaというアルツハイマー病の病因因子の論文は100近く貯まる
こういった論文に埋もれない光ったよさを出せばそれで良いのかもしれない。
年は積み重ねるもので、僕が2003年にだした論文も引用は積もりに積もって、もう少しで1000を超えそう。
まぁこの論文をなかなか乗り越えられないのが悔しいけど、1000超えたらそれでもなんか記念品でも作るかなぁ、スクショとって、盾を作ってみようか。
自分で作るとかいう所が、いじましい、だれか有志で作ってくれてもいいで。
研究者としての誇りのよりどころがこの論文にあるというのは事実。
運に助けられたのもあるけど(後輩にまで言われたが)、それでも当時考えに考えたことが、まぁまぁ当てはまった所ではあった
そんなに自分の能力に劣等感を持つ必要もないのだろうと今は思う。
年を取ってリーズニングは上がってるけど、昔の突破力が無くなってきたのは感じる。
何をやってもうまく行く気がしてたなァ。
研究も熱い血潮、ホルモンがあるうちにガツガツやるべきなのだ。